2015年春のドイツ旅行(7)マウルブロンとヒルザウとカルフ

こんにちは。ともたろです。
ハイルブロンで2日目の朝を迎えています。

朝食のピーク時間を過ぎて、ゆっくり朝食タイム。
8時頃自室に戻ってくると、ノックの音が聞こえてきます。
扉をあけると、お掃除担当のおばさんがそこに立っていました。
「あなたはいつも遅いから、今日は何時に出るか教えてくれる?」
いつも遅いからって…今日2日目だし、まだ8時すぎだし。
ここはドイツ時間で動いているホテルなのですね。
どうりで朝早いわっ!(だったら朝食も6時半にしてくれっ)
c0025187_23080710.jpg
部屋で粘りに粘って、9時26分にハイルブロン駅を出発。
途中駅のビーティヒハイム・ビッシンゲンで乗り換え。
10時31分に本日の目的のミュールアッカー駅に到着しました。
シュヴァーベン地方にはあまり慣れていないこともあり、
今回の旅で初めて知る地名ばかりで、どこも新鮮です。
c0025187_23234915.jpg
最初の目的は、世界遺産のマウルブロン修道院。
いちおう世界遺産なのですが、地域に電車が通っていないので、
最寄駅から、バスに乗り換えて移動しなければいけません。
どの方角から来るかで、下車駅に複数の可能性があるのです。
私も調べていて、どの駅で下車すべきか非常に迷いました。
c0025187_23110655.jpg
結局降りたのは、ミュールアッカー駅。
駅前にバス用電光掲示板があるくらいだから、
ひらけている駅ととらえるべきでしょうか?
でもここで私は小さなトラブルに見舞われてしまったのです。
せっかくですから、その内容も記録しておきますね。

駅前から出るバスには「マウルブロン行き」とは書いていません。
様々なルートの路線を辿って、マウルブロンに至るみたいなんです。
「下車する正式なバス停名は、Altes Stadtbad(古い市民プール)」
との情報を得ていたので、運転手に確認してからバスに乗車した私。
そしたらバスは、ミュールアッカー市内のSchwimmbad(プール)
に向かいました。(厳密にいうと、行先は”ギムナジウム”=学校)

着くと運転手が「ここもプールあるからな。あんた降りるんだろ?」
と怒り始めたのです。「ここがマウルブロン修道院なの?」と聞くと、
「なんだよ!マウルブロンに行きたいなら、最初からそういえよ。
おまえはさっきプールに行くって、俺に言ったじゃねーかよ!」
とさらにキレる運転手。なんで?なんでこんなに怒られるの?
私の発音が悪かった?だけどカメラを持って車窓を撮影する
外人観光客の私が、町の学校のプールに行くと思うか?

反応に困った私は「じゃ、ここで降りたらいいのね?」と返すと、
「いいよ、このバスはどうせ駅に戻るから」と発車する運転手。
駅に着いたら、バスはそのまま「マウルブロン行き」に変更されて、
「ほら、この時点でマウルブロン行きになったんだ」て言うんです。

なんなの?途中であんなに怒る必要あったんかい???
運転手の理不尽な態度に、私もいいかげんムカついてきました。
「ここでもう一回降りて、乗り直したほうがいいですかね?」
そうかえすと、運転手は肩を竦めて、無言で走り出しました。
むっか~~~(怒)
c0025187_23593151.jpg
とにかく11時10分に、ミュールアッカー駅より再スタート。
11時半に、ようやく目的地のマウルブロンに着きました。
降りたバス停は、「どこがプールやねん」てくらい、
何もない田舎の一本道にありました。
c0025187_00011677.jpg
少し不安になって、修道院への行き方を通行人に聞きます。
すると「ここをまっすぐ行くだけ」と言われたので、進行方向へ。
5分くらい歩くと、巨大な歴史建造物が視界に入ってきました。
c0025187_00040823.jpg
前庭にモニュメントが建っていたので、読んでみましょう。
この修道院に関連した著名人の名前が、載っているようです。
驚いたことに、ヒルデガルトの名前も発見しました。
なんとまあ、ご縁があるもんですね。
c0025187_00044760.jpg
「ビンゲンのヒルデガルトの親戚にあたる
トリアー大司教アルノルトが1178年5月14日に
修道院付属教会の献堂式(奉献礼拝)を献げた」

ご縁があると言えば、ヒルデガルトの映画を撮影するとき、
当時の修道院のシーンでマウルブロンが使用されたんだとか。
c0025187_00154652.jpg
マウルブロン修道院について、ここで解説を少し。
「マウルブロンは、850年以上の歴史を誇る旧シトー会修道院で、
アルプス以北の修道院の中でも最も保存状態がよい中世の修道院。
宗教改革後はプロテスタント神学校が設置され、現在に至る。
卒業生にケプラー、ヘルダーリン、ヘッセ。ユネスコ世界遺産」
c0025187_00161067.jpg
修道院の入口がどこなのか、バスでくるとわかりにくい。
奥に広場が見えるので、この間を進んで行きましょうか。
c0025187_00162882.jpg
木組の家が広場を取り囲んで、かわいい集落を形成しています。
マウルブロンって、修道院の建物1つだけではないんですね。
かわいい木組の家は、レストランだったりお土産物屋だったり。
ここの広場一帯が、女子心をくすぐる空間であることは確かです。
c0025187_00344703.jpg

左手奥のインフォメーションで、入場券を購入します。
さらにオーディオガイドを借りて、絵はがきやCDも購入しました。
旅では「あとでじっくり見よう」はダメなんですよね。
思い立ったときに買わなくちゃ。
c0025187_00385035.jpg
修道院の全景はこんな感じ。ジオラマもかわいいですねぇ。
それにしてもこの修道院の巨大さよ、信者を引き付ける吸引力の強さよ。
教会や修道院をまわるたびに、信仰の力ってすごいな~と感じます。

c0025187_00433951.jpg
正面の教会堂玄関ホール(パラディース)から院内に入りましょう。
平日昼間なせいか、人には全くすれ違いませんでした。
また修道院独り占めだぜーい!
c0025187_00463895.jpg
ゲートを入ってすぐ右手にある、地下貯蔵室。
すばらしいアーチを描いた、古い地下空間ですね。
ここには、修道院の歴史を物語る発掘物が展示されています。
c0025187_00501242.jpg
1201年頃に作られた平修道士用食堂。
19世紀に改築されたとはいえ、明るくてひらけた空間ですね。
c0025187_00590279.jpg
「 青春時代の緑の谷に魅せられ、
苔むす柱身にもたれ、聴き入る。
緑の水盤に泉がしたたり 丸天井に響きわたるのを。
すべては美しく静まりかえったまま、
私だけが歳をとり、あの熱き想い、
愛と憎しみを湛えた魂の暗い泉も
もうかつての激しさで流れはしない」

ここはノーベル文学賞を受賞したヘルマン・ヘッセ(1877-1962)が
14歳の時に入学した神学校です。学校生活に辟易したヘッセは、
半年で学校を逃亡し、昨日紹介したチュービンゲンの本屋やら、
複数の職を転々とするのです。精神病院にも入院しました。

大人になったヘッセが、再びマウルブロンに戻った1914年、
「マウルブロンの回廊で」という詩を書きました。
その詩に登場するのが、修道院の回廊にあるこの泉です。
この修道院に来るほとんどの人は、この泉を見に来るんですよね。
ヘッセにとって、ほろ苦くて美しい、青春の思い出の泉なのです。
c0025187_01003161.jpg
美しい造形の飾り窓ですね。
12世紀に献堂式が行われて、修道院内部が完成したのが13世紀。
ぐるりを取り囲む回廊が完成して要塞化したのが14世紀とのこと。
ヘッセ少年もこの古い重苦しい建物で、半年暮らしていたんですね。
ううむ。寒そう。
c0025187_01005204.jpg
修道士の談話室。
天上の模様の発色が非常に美しい。
窓も大きく明るくて、快適な居住空間に見えます。
c0025187_01015720.jpg
回廊の石枠をよく見ると、文字が刻まれていることに気づきます。
「もう~観光客のマナー悪すぎ!」と最初はムカついていた私。
でも実はこれ、神学生たちの残したサインなんですって。
ひええ~~~!そういう目で見直すと、秀麗な文字ですわ。
ヘッセ少年も刻んだんでしょうかね?
c0025187_01055860.jpg
1147年に創建された修道院付属教会。
ヒルデガルトの親戚が奉献式を行った礼拝堂です。
古いロマネスク式の教会で、とても重厚感がありました。
写真におさめきれないので、祭壇正面から1枚だけご紹介を。
c0025187_01374948.jpg
この修道院内には、1時間半くらい滞在していました。
中世の時がとまったままのようで、素晴らしい修道院でした。
途中でドイツ人グループと1回すれ違いましたけど、
それ以外は個人客とも全然逢いませんでした。
オーディオガイドを借りて、ゆっくりと各部屋を巡って。
本当に充実した時間だったわ。
c0025187_01413212.jpg
13時頃から、修道院の向かいにあるかわいい木組の
レストラン「シュミーデ(鍛冶屋)」に入店しました。
ここでオリジナル・マウルタッシェンを注文しました。
これを食べるのも、修道院滞在目的のひとつだったんです。

マウルタッシェンとは、ここマウルブロン修道院で
修道士によってうみ出されたひき肉詰めパスタのこと。
肉をパスタ生地に隠すことで、神様にばれないよう
聖金曜日に食べられていたという伝統ある郷土料理です。
c0025187_01423439.jpg
このマウルタッシェン、味はおいしいんですが、
量が非常に多いという噂を耳にしていまして。
ラーツケラーでも「小さいサイズで」とお願いしていました。
それが調度よかったので、ここでも小さいサイズを注文しました。
おかげさまで、お腹にちょうどの昼食を楽しむことができたのです。

同様にマウルタッシェンを注文していた隣席のドイツ人集団は、
運ばれてきた普通サイズの皿を見て悲鳴をあげ、残してました。
さすがのドイツ人でも、ボリューム大に感じるんですね。

ちなみにピンクの飲物は、ラバーバーソーダです。
この地方以外で、あまり見かけないんですよね。
これも一種の郷土料理(飲料)なんでしょうか?
(あったらごめんなさい。たまたま見かけないだけかも)
c0025187_01522601.jpg
さようなら、マウルブロン。
とても見応えのある、中世の修道院でした。
周囲のお店を1軒1軒見てまわりたい気もしましたけど、
バス時間がありますから、そろそろ行くことにしますね。

帰りは、ミュールアッカー駅には戻りませんでした。
プフォルツハイム行きのバスがあるのを発見したからです。
「この名前は、次に行きたい乗換駅だ」とバス停で判断し、
来た方向と逆方向に進むことを、その場で決意しました。

プフォルツハイムに向かうバスの車窓からは、
木組の家が立ち並ぶかわいい町がたくさん堪能できました。
バスの旅って、意外な出会いや発見があって楽しいですよね。
運転手にむかつくことも、たまにありますけどね。
c0025187_01543609.jpg
途中で通りかかったのが「マウルブロン・ヴェスト」駅です。
この駅を拠点に使うかどうか、私もすごく悩んだんですわ。
マウルブロンから距離的に近いし、バス時間さえ合えば、
こっちのほうがよかったかもしれませんね。
でも駅のさびれ具合は、ミュールアッカーより酷かった。
ここは日が暮れたら、確実に不安な駅です。
c0025187_01544950.jpg
そしてこちらが、バスの終着駅のプフォルツハイム。
撮影できなかったんですが、まぁここの町のひらけていたこと。
大きな教会やお城も見えたし、町の規模は大きいし、活気があるし。
まだまだ知らない名所がドイツにはたくさんあるんだなと思いました。
14時2分にマウルブロンを出て、この駅に着いたのが14時50分。
15時19分の列車で、ここからヒルザウという町に向かいます。
c0025187_02384060.jpg
ヒルザウへは、鈍行で30分ほど。
電車駅こそありますが、ここはショージキ「町」ではないですね。
「マウルブロンよりひどい」と言いますか…(すみませんねぇ)
山の中腹にある無人駅に降りたって、きょろきょろと見まわすと、
高架を抜けた坂の下に、町や教会の塔らしきシルエットが見えます。
私の目的は、おそらくそっちの方向ですね。
c0025187_02420958.jpg
駅の高架をくぐって、そこにある交差点を渡るだけ。
ちらほらと民家は見えますが、商店はありません。
あ、交差点にレストランが1軒あったかな?
c0025187_02422622.jpg
信号を渡ると、すぐに修道院博物館が見えました。
着いたのが16時だったので、扉は閉まっていました。
ここには本当は入りたかったなぁ。ちょっと残念。
c0025187_02431090.jpg
横の古い建物が、ヒルザウ修道院付属の聖アウレリウス教会。
なんと1059-1071年の建築が、今に残っているのです。
おそるおそる重い扉を押すと、教会の中にも入れました。
人の気配はなく、洞窟のように暗かったので、怖かったです。
だけど今なお信者に開かれている、現役の教会なんですね。
c0025187_02445909.jpg
ヒルザウ修道院は、ベネディクト会修道院。
ヒルデガルトの修道院と同じ宗派。建立も同じ時代なんですね。
分厚い壁のロマネスク式バジリカが、初期の教会を彷彿させてくれます。
当時の修道院付属教会って、だいたいこんな雰囲気だったんでしょうね。
廃墟となったディジボーデンベルク修道院も、こうだったのかな。
c0025187_02455666.jpg
教会の出口近くで、絵はがきだけ買って帰りました。
うろうろできないくらい、教会の中は暗かったのです。
教会を出たあとは、道なりに進んで小川を渡りました。
川の向こうに見える黄色い建物が、「ホテルヒルザウ」です。
機会があれば、私もいつかこのホテルに泊まってみたい。
そして思うぞんぶん朝の散歩をするのが、私の夢です。
c0025187_02474636.jpg
ホテルヒルザウを過ぎて数分歩くと、
民家の後方に廃墟らしき影が見えました。
ああ~ここです!私のきたかったのは!!!
c0025187_02490274.jpg
ヒルザウ修道院の廃墟跡。
ヒルザウは、830年創建のベネディクト会修道院で、
ヨーロッパで最も有名な学問の中心地でした。
フランスのクリュニーで始まった11世紀の修道院改革運動は、
ドイツに入ったあと、ここを拠点に伝搬していったのです。

1092年に、聖アウレリウス教会を手狭に感じた修道士は、
川向いに建設された聖ペーター&パウル修道院に移ります。
それが地図にある、ここらへん一帯なのです。

宗教改革後もプロテスタントとして生き抜いていたんですが、
プフェルツ継承戦争(1692年)の戦火で全体が焼け落ち、
今は完全に廃墟となっています。兵どもが夢のあとですね。
c0025187_02480317.jpg
修道院の廃墟へは、この門から入場します。
16時をすぎたのでどうなのかな?と思っていたら、
地元民と観光客が、ぱらぱらと中に入って行きました。
いつでもオープンになっているなら、ありがたいですね。
c0025187_03145695.jpg
ヒルザウ修道院の栄華は、長くは続きませんでした。
12世紀にはすでに没落が始まり、宗教改革を経て、
修道院はプロテスタント神学校に生まれ変わったのです。
先ほど訪問したマウルブロンと同じパターンですね。
16世紀末には、ヴュルテンベルク候がルネッサンス式宮殿を建築。
奥に見える立派な城跡は、その「狩猟宮殿」と「鐘楼」跡なんです。
宮殿の天井は抜け落ちて、内部はがらんどうになっています。
c0025187_03170161.jpg
綺麗に整備されているここは、14-15世紀のゴシック式回廊。
古の修道士になったつもりで、次の遺跡空間へ移動していきましょう。
c0025187_03232066.jpg
奥にそびえたっている塔は、36mの高さを誇るフクロウの塔。
1120年頃に完成した、ヒルザウ修道院最古の建築のひとつです。
18世紀までは、南側にもうひとつ同様の塔が建っていたのですが、
破壊されて今はこの塔のみです。だから一人ぼっち感があるのね。
c0025187_03163728.jpg
1518年、ヒルザウ修道院の病人礼拝堂として後期ゴシック様式で
創建されたマリエン礼拝堂。1892年には再建されて、改装を重ね
美しいアーチとステンドグラスを持つ教会に生まれ変わりました。
c0025187_03175426.jpg
かつては、上階に図書館が備え付けられていたということです。
だとすれば、ここに集められていた蔵書はどうなったのかしら。
ザンクトガレンに残る知の結晶を見ただけに、心が痛みます。
c0025187_03182039.jpg
聖アウレリウス教会と違って、明るく広い空間。
ここでも、絵はがきを購入して帰りました。
チャリーンとコインを入れてくるパターンでね。
ドイツを旅する人は、トイレしかり教会しかり、
いつでもコインを残しておかなあきませんね。
c0025187_03224737.jpg
午前中に行ったマウルブロン修道院を思い起こしました。
両者とも、宗教改革を(改宗して)生き抜いたのに。
マウルブロンは、中世の修道院そのままの形で生き残り。
ヒルザウは、中世の残像となってしまった。
だけど、だけど…私はこっちのほうが断然好み。
だって、廃墟好きだも~ん。
c0025187_03253268.jpg
最後に。この芝生空間が、修道院付属教会跡です。
これこそ、マウルブロン修道院の荘厳な付属教会と
比較してみる価値があります。
私はむしろお疲れさまと言ってから、ここを立ち去りたい。
芝の手入れはよくされているし、子供たちは遊んでいるし。
地域の人に愛され、大事にされてますよ。いや、ほんとに。
c0025187_03265716.jpg
ヒルザウ駅から、17時17分の列車に乗ります。
プフォルツハイムに戻るんじゃなくて、さらにもう一駅遠くへ。
そこが、今日の最終目的地カルフです。
c0025187_20070094.jpg
カルフの駅は面白い構造になっています。
山沿いに線路が走っていて、カルフ駅に到着したあとは、
エレベーターで1階まで降りなければいけないのです。
それがこの写真のつきあたりのあたりですね。
c0025187_20073527.jpg
目の前の橋を渡ると、旧市街に入れることは、すぐに想像できました。
橋を渡りながらふと横を見ると、並行してもう1つ橋が架かっている。
カルフの事前情報はほとんどなかったんですが、すぐにわかりました。
c0025187_03290126.jpg
この町最古のニコラウス橋と、橋の上のニコラウス礼拝堂です。
1400年頃創建された礼拝堂で、ヘッセの自伝的小説「車輪の下」
にも登場します。神学校に合格し、解放感あふれる主人公の少年が、
故郷の川で1人釣り糸を垂れるシーンが印象的な作品でした。
その川がここらへんなのです。(たぶんですけどね)
うわーっ!!!そう考えたらコーフンしてきた!!!
c0025187_20252733.jpg
暗くなりかかっていますが、市庁舎(白い建物)とマルクト広場。
市庁舎は現在全面工事中で、内部は鉄骨だけの悲惨な姿でした。
完成したら、広場の中心的存在として、際立つのでしょうね。
c0025187_03311009.jpg
カルフの町の中心部マルクト広場。
市庁舎の周辺は、木組の家で統一感が保たれていました。
こじんまりと小さいけれど、すごく美しい町ですね。

c0025187_03324755.jpg
64mの高さの塔を誇る町の教会です。
町ができた13世紀のカトリック教会に遡るんですが、
宗教改革以後はヒルザウ同様プロテスタントになっています。
c0025187_20400799.jpg
マルクト広場の最奥に建っているのが「ヘッセ博物館」。
ここはヘッセゆかりの町。様々な小説のモデルの町なのです。
世界中から集められた資料が、この博物館に集結しています。
マニアは絶対に入らなければなりません。(私は無理でした)
c0025187_03333909.jpg
市庁舎の向かいに建っている木組の洋品店が「ヘッセの生家」。
「ヘッセ一家は1874年から1881年までここに居住し、
ヘルマン・ヘッセは1877年7月2日にここで誕生した」
と壁の銅板に刻んであります。すっげー!!!
c0025187_20533185.jpg
ニコラウス橋の上の実物大ヘッセに別れを告げて、町を去りましょう。
電車に乗り込んだのは18時4分。40分しか滞在していない慌ただしさ。
ヘッセさん、ごめんねー。この町はじっくり見たかったんだけど。

この町に入る前、私はヘッセの「車輪の下」を読んできました。
「車輪の下」がなぜ日本人に評価されるのか、これまでわからなかった。
でも今回じっくりと読んでみて、理解できたような気がしました。

周囲の期待にそえようと、プレッシャーの中で根を詰めて学ぶ少年。
故郷の自然に癒され、息抜きの魚釣りで自分を取り戻しつつも、
現実につぶされて、「破壊」されていく少年の苦しみが、
読者からすると、わが身の体験にかぶるんですよね。
日本人は、やっぱりみんな頑張っているんだと思う。

あと、日本人は自然が好きなんですよ。
ドイツのガイドさん曰く、「あの花はなんだ?」としつこく
質問してくるのは日本人だけ。日本人ツアーを案内するときは
いつも以上に動植物の予習をしなければいけないそうです。
ヘッセの魚釣りの際の自然描写って、リアルで細かすぎ。
「男子って、こういう目線で小川の生物を観察してるんだ」
というのがわかって、「車輪の下」は非常に楽しめました。
c0025187_03341725.jpg
黒い森の中にある町カルフは、ハイルブロンからは近くて遠い町。
17時5分にカルフを出発してからは、プフォルツハイム、ミュールアッカー、
ビーティヒハイム・ビッシンゲンと、5分ずつの乗換時間をこなしながら、
遠く離れた番線を走りまわらなければいけませんでした(涙)
といっても、そこはドイツ鉄道(DB)、絶対に遅れるのです。
だけど、そんなときは乗換先の電車も遅れてきてくれたりして(ラッキー♪)
なんとか3回の乗換をこなし、20時前にホテルに帰りつくことができました。
ハイルブロン駅でフルーツとサラダを購入して、いつもの晩御飯です。

それにしても、今日は充実した1日だったなぁ。
中世の(対照的な)修道院を2つまわることができたこの日が、
あとで振り返ると、この旅行でもっとも印象に残りました。
ちょっと修道院づいてきたので、明日もこの路線で行こうかな。


[PR]
by ottohoefler | 2015-05-04 23:22 | 旅行(Reisen)


見てるだけでシアワセな気分になれる身のまわりのモノたちをおひろめしています


by ottohoefler

プロフィールを見る
画像一覧

S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

カテゴリ

全体
自己紹介・リンクについて
ケメ子が一番(Katze)
旅行(Reisen)
ヴィンテージ
家具・雑貨
和の器
ファイヤーキング
オールドパイレックス
映画
かわいいもの発見
おいしいもの発見
未分類

以前の記事

2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
more...

その他のジャンル

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

画像一覧