2014年夏のドイツ旅行(4) / Deutschlandreise 2014 (4)
こんにちは。ともたろです。
ドイツに来て4日目、実質3日めの日程がスタートします。
この日も少しゆっくりめに、8時43分発のICEに乗車しました。
この写真はまだ空いてますが、この列車は旧東独へ向かう長距離列車。
フランクフルトあたりから、乗車してくる座席予約者で激コミになります。
「あ、私ここ予約してるの。どいてね~」と来るので、次々と空席へ移動。
なんとか座りましたけど、2人以上だったら絶対に予約がベターな区間ね。
しかも途中駅で「救急医が乗車のため(?)しばし停車します」のアナウンスあり。
そしてそのまま20分停車。私の耳がおかしいのかもしれないけど…これあり?
「ドイツの電車の運行ってマイペースやなぁ~」というのをしみじみ感じました。
そんなこんなで、目的地のアイゼナッハに到着したのは11時40分でした。
駅の構内が「いかにも!」って感じの重厚感だったので、おもわずパチリ。
片道3時間も離れている町は、普通なら旅程に組み込まないでしょうね。
確かに中途半端な位置だけど(失礼)、ここはどうしても来たかったんです。
「駅前から1時間に1本のバスで山へ」という事前情報でしたが、
時間が遅れているので、駅前からタクシーに乗り込みます。
10~15分山を登って料金は8€ちょい、私は10€払いました。
贅沢かとも感じましたが、あとから考えるとこれは英断でした。
だってタクシーの運転手さんから、城門までの情報をもらえたし。
山の中腹で、「ここが撮影ポイントだから」と停めてもらったし。
そのときの写真がこれ。山上の城はWartburg(ヴァルトブルク)城。
この中世の山城を見たくて、は~るばるやってきたのでした。
それにしても、絶景ポイントなのはわかるけど、修復中って…。
一般車が入れるのは途中まで。頂上直前の心臓破りの坂だけは、
乗客をピストン輸送する専用バスしか登っていくことができません。
もちろん歩くことも可能ですが、そのあとの行程を考えると非推奨。
タクシー運転手さんの指示に従って、バスの切符を購入しました。
たしか片道3€で、ドイツ人は高いってぶーぶー文句言ってましたわ。
運転手も負けずに「だったら自分で行けばいい」と応戦してましたけど。
バスで3分も登ると、ヴァルトブルクに到着です。
乗物を効果的に乗り継いだので、日本人の私はすっきりした気分でした。
3€とか端金はどうでもいいの。金持ちケンカせず。(byサッチー)
とにかく城門をくぐって、中に入ってみましょう。
「狭い中に、けっこう人がいるんだな」という第一印象です。
右の建物の1階が売店で、入場券を購入することができます。
私は写真撮影許可2€+入場料9€を支払って、
12時半のガイドツアーに参加することができました。
タクシーで来たから、このベストタイミングでいけたんです。
次のツアーにズレていたら、また時間のロスになっていました。
11世紀、ドイツ中央部チューリンゲンに築城されたこの山城は、
長い歴史の中にさまざまなエピソードを合わせもっています。
1.12世紀以降、宮廷歌人や吟遊詩人が集まって「歌合戦」が開催された。
2.13世紀には、貧民救済に人生を捧げた聖エリーザベトが住んでいた。
3.16世紀には、ルターが1年こもって新約聖書のドイツ語訳をした。
どれも凄いけど、ルターの聖書翻訳ってのが個人的に一番興味深い。
庶民が聖書を読めるようになって、現代ドイツ語の基礎を作ったわけだし。
だからルターが引きこもった書斎を、ガイドツアーでどうしても見たかったんです。
アーヘンのときも強調しましたが、ここでも強調します。
ガイドツアーに参加しなければ、ドイツの観光はダメダメ。
個人だと、肝心のおいしい所に入れませんし、専門知識も得られません。
ガイドツアー担当者ってのは真の専門家で、どんな質問にも答えられます。
多少知識のある客がいると、話題は広がっていくし、盛り上がるんです。
英語ツアーもありますし、ドイツに来たらぜひツアーに参加してくださいね。
左奥にガイドツアーの集合場所があります。
入口は小さいし、何も書いていないから、すれ違う多くのドイツ人に
「集合場所はどこ?」と聞かれました。私も受付で聞きなおしました。
さて、ツアーのスタートです。
入口では、城の位置と歴史を説明してくれました。
中世に使用されていた部屋を、次々とまわっていきます。
ここは城主のダイニングルームだったかな?
あれ?写真に夢中で、ガイドの話聞いてないことばれた?(汗)
派手なフレスコ画に、目がまわりそうになった部屋。
聖エリザーベトの偉業が事細かに描かれているようです。
廊下を歩いても、周囲はエリーザベトだらけ。
この城の誇りは、聖人エリーザベトの排出なんでしょうね。
あ、ガイドさんが私を探しにきてくれた…遅れてすみません。
改装中ではありますが、宗教画のタピストリが圧巻でした。
この部屋は、太い円柱の細かい細工が印象的でしたね。
壁の隅々にまでヴァルトブルク周辺の景色が描かれていました。
このあと、階段を上った先にあったのが、歌合戦の間です!!!
あの「ヴァルトブルクの歌合戦」ですよ。ここで開催されたのよ。
椅子がちょっと気になるけど、昔も備え付けの椅子ではなくて、
参加者用に椅子を持ち込んでいたってことになりますね。
いや~~~これは感動した!(by小泉)
「歌合戦の間」を満喫したあとは、城の調度品展示スペースに移ります。
興奮した気持ちを抑えながら、宝石箱や楽器、銀食器なんかを眺めて。
甲冑があったら、「小柄だったんだな~」と自分と比べてみたり。
長い渡り廊下を進みます。これまでの豪華なしつらえから、
質素な使用人の空間へと移動していくのを自覚できます。
もしかして、この廊下の先には、待ちに待った例のアレが…。
やったら質素な部屋キタ―!!!
と思ったら、ただの「食糧運搬用ロバの世話人部屋」とかね(ぺろっ)
でもこういう「当時の下々のリアルな暮らし」が伝わる部屋、好きです。
私がこの時代にいたら、ロバの世話してるんだろうな~って思うし(笑)
気を取り直して、先に進みましょう。すでに気配は十分あるからね。
次は、こんなに美しい手ふきガラスの出窓にでました。
何をするスペース?日向ぼっこでほっこり?見張り?
そんなことを考えながら、次に控える間に歩を進めます。
あれ?あの机は、どこかで見たことがありますよね?
待ちに待った、ルターの書斎キタ―!!!
すごい質素な部屋です。リアル感があります。
場所だって城のはずれにあるし、使用人部屋のそばだし。
壁の絵は、1522年クラーナッハ作(コピー)
聖書は、1522年の新約聖書(コピー)
椅子は、19世紀の複製品
机は、1600年以前の樫の木製(実物)
足置きのオットマンは、クジラの骨
歴史的に価値があるのは、オリジナルの机とオットマンか。
「悪魔にインク壺を投げつけて、シミができた」という逸話が有名だけど、
ガイドさんによると「そんなシミは探してもないです(笑)」とのことでした。
Wikiさん、間違ってますえ~~~?
ルターの書斎をみたあとは、もう城の出口です。
どこをどうまわったか、自分でもわかっていませんが、
出たところは「購買の手前にあったトイレの横」でした。
白鳩がたくさん羽根を休めていたから撮影した写真ですが、
出窓から見て、このあたりがルター部屋だったのでしょうか。
「ツアーガイドは必至ね♪」って先ほど言いましたけれど、
ツアーガイドへの参加は、確実に体力を消耗します。
疲労困憊。もう動けん。ワンコも水を飲んで休憩中。
城併設のカフェに入って、ヴァルトブルクケーキを注文しました。
あまりにも喉がかわいて、珈琲をポットで頼んでみたところ、
2杯分の珈琲が巨大なカップに注がれてやってきました。
熱い珈琲をたっぷり飲んで、確実に英気を養えました。
ここで、ヴァルトブルク城の構造を見てみましょう。
城の奥から、城門の方向を振り返っている模型です。
中庭を挟んで、おおよその棟は見てきた(と思う)けど、
手前にみえる(城の最奥に位置する)塔だけ見ていません。
0.7€支払い、最後の力を振り絞って階段を上ります。はぁはぁ。
お城の全景が見えますね。360度びっしりと緑に囲まれています。
麓の町も小さく見えます。山のてっぺんですものね。
こんな場所にあったら、砦の役割は十分果たせますわ。
破門されたルターも、安心して隠居生活が送れたでしょう。
破壊されることなく、各時代の人間に大事にされて、
現代に美しき原型を残すヴァルトブルク城。
せっかくここまで上がってきて…名残惜しいですが、
そろそろ出発することにしましょうか。15時前ですから。
さようなら、緑に囲まれたヴァルトブルク城。
素晴らしかったけど、なんか最後のような気がします(笑)
中間のバス停までは、徒歩で降りていくことにしました。
短い距離ですが、車道からの迂回路になっていて、急こう配。
膝の悪い人には、かなりこたえる区間でしょうね。
バス停のそばにくると、Eselstation(ろばステーション)を発見。
人を載せたりするのかしら?子供が遊んでいるだけでしたけど。
中央駅に戻るバスは15時25分発で、20分以上時間がありました。
だけどあの山を歩いて降りる気にはなれず、バスを待つことに。
しかしいくらヴァルトブルク目当てだったとはいえ、ここにきて、
アイゼナッハの町を全然見ていないのが、気になっています。
アイゼナッハの観光ポイントとして、バッハの家、ルターの家が、
あるのですが、ルターの家は2015年まで修復で閉鎖中です。
バッハの家は、現代風に生まれ変わった博物館らしいので、
なんか時間を割いてまで行ってみる気になれないんですよね。
そんなことを考えている間に、バスは中央駅に到着しました。
15時49分に、フランクフルト方面に戻るICEがあります。
これが15分遅れて、16時05分到着となっていました。
このタイミング…私はアイゼナッハの町をすっ飛ばして、
このICEで次の目的地まで移動することを即決しました。
1時間移動して、17時頃に降りったのがFulda(フルダ)。
ここはフランクフルトとアイゼナッハのほぼ中間地点に位置し、
中世史を学ぶものにとっては、避けて通れない重要な町です。
例によって、駅前の通りをずんずん10分ほど進むと、
デパートなどに囲まれた大きな広場に到着します。
地図もなく、目的地点を目指して、ただ感で歩きまわっています。
これは「旧大学」と書いていた気がするんですが、自信がありません。
この広場を抜けて、右手奥に進んでいきます。
この町に縁ある人物(後述)の銅像と教会と…あれれ?
「木組の旧市庁舎」なんですが、これまた修復中だわ。残念。
教会の鐘が大音量で響き渡ります。
歴史の刻まれた長い塀には「修道院ショップ」と書いてあります。
重要な修道院なんだろうけど…小走りに目的地に向かいます。
(あとで調べたら、17世紀創設のベネディクト女子修道院でした)
広い車道に出ましたよ。この道はあっていたんです。
奥にある尖塔が、私の目指す場所なのでしょう。
右手に見えるのが、市の城(領主司教の宮殿)です。
18世紀に世俗権力を握っていた当地の修道院長が、
当時流行のバロック式宮殿を建築して、居住しました。
現在は歴史博物館となって、一般公開されています。
わ~、あれだよきっと!!!夢にまで見た「フルダの大聖堂」って。
独特の外観だよね。古そうだな~さすがフルダさん。
…って、あれれ?横の大きい方が、フルダの大聖堂かい(汗)
最接近するまで、マジに存在に気づきませんでした。
道はこの古い教会に続いていたし、緩やかな丘の好立地だし。
この小さな古い教会については、後述することにして、
大聖堂に先に入ってみましょうか。時間もぎりぎりOKね。
ここは、ドイツの守護聖人ボニファティウス(672-754)が眠る聖堂。
ボニファティウスといえば、全ゲルマニア地域の大司教として就任し、
布教の途中に殉教した聖人で、ドイツカトリックの基礎を築いた人です。
中央祭壇の裏手に、地下聖堂に降りる階段がありました。
これこそが、「聖ボニファティウスの墓所」です。
花を手向け、祈りをささげる信者が今も絶えません。
この日も、若い神父さんが膝をつき、熱心にお祈りしていました。
雑念だらけの私がカメラを手にウロウロして、本当に申し訳ない。
祭壇に刻まれているシーンは、ボニファティウスが拷問によって
不運の死を遂げ、その後に復活した様子なんだそうです。
ボニファティウスが愛したこの地には、愛弟子によって修道院が
建築されました。9世紀には、バジリカ式教会堂が完成します。
アルプス以北最大の教会堂で、各地から巡礼者が殺到したとか。
しかし長い年月を経て、バロックの流行した18世紀になると、
白い漆喰と彫刻を施した現在の姿へと改築されたのです。
設計者は、「市の城」を手掛けたディーンツェンホーファー。
改築前は、いったいどんな内陣だったのでしょうか。
たとえ朽ち果てていても、素朴で重厚な石造りの教会堂は、
もっと私好みだったに違いありません。
さて、大聖堂を出て、横の小道をかけあがります。
時刻は18時少し前。気になっていた教会に移動しましょう。
見学は確実に無理だろうけど、前まで行ってみたいから。
もっと近くに寄って、全体の作りを見てみたいから。
聖ミハエル教会
カロリング時代の円形建築(822年)
フルダのベネディクト派修道院の墓地礼拝堂には
当時の地下聖堂(納骨所)が現存している
10-11世紀には、ロマネスク式回廊に改装
なにか引っかかると思ったら、カロリング時代の建築だったのね!!!
18時からミサが始まるのということで、人が集まってきています。
「信者以外立入禁止&撮影禁止」と、扉に書かれていました。
だけど神父さんがバタバタ歩きまわって、準備をしていて。
観光客のおばさんたちが、カメラを片手に入っていくのです。
私だって、よく考えたら、立派な観光客のおばさんですってば。
ずいずいと教会の中に入っていくと…
あら、ここはなんて不思議な空間なんでしょう。
説明文の通り、たしかに母体は「円形建築」です。
少人数しか入ることができない狭い空間で、東屋みたい。
十字の「回廊」は、確かにあとから追加したものでしょうね。
中央に説教台が設置され、奥には祭壇が飾られています。
写真のように、信者はぐるりを囲んで神父の説教を聞くこともできる。
おそらくもっとも初期の、素朴な「信者の集会」の形態なのでしょう。
おばさん軍団に続いて、地下聖堂(納骨所)にも降りてみました。
だって、私も立派なおばさんのひとりですからねっ!
階段は、すれ違いできない狭さでした。
地下はがらんとしています。空気が冷たいです。
ああ~~~礼拝堂になってる!(当たり前だけど)
1200年前から、ここで祈りが捧げられているんですよ。
すごいものを見せて頂きました。おばさんでよかった。
さあ、そろそろミサが始まりますよ。
さっと見ただけで、10人もいなかったけれど、
これが本当のリアルな地方のミサなんでしょうね。
いくらおばさんでも、もう出ていきますね。失礼しました。
大きな通りにでると、城門らしき痕跡が見えました。
その奥にも壁が続いているので、興味をそそられます。
でも18時をまわっていることだし、そろそろ駅に戻りましょうか。
にぎわいにつられて、お城の庭にちょっとだけ寄り道。
いや~~~フルダってすばらしいですね。
市民の憩いのスペースがしっかりと整備されているし。
この美しい庭園で本を読んだり、日光浴したりしたいなぁ。
庭園から見下ろした普通の自動車道なんですけど、
自然と歴史文化、市民生活が一体化している感じ。
ここに住めば、きっと豊かな生活が送れるでしょうね。
この町が好き。私はすっかりフルダ信者になっていました。
旧市庁舎裏にある後期バロックの司教区教会。
もちろん中には入れませんでしたが、
おそらく仲は派手なんでしょうな。
この日は、ワイン祭りが開催されていたので、
雰囲気だけ味わいに、会場に寄ってみました。
凄い賑わいでしたよ。素朴なおつまみがいいね。
「さあ、もう帰るよ」と独り言を言いながら、ICEに飛び乗った私。
素直にマインツに帰ればいいものを、フランクフルトで下車。
だってフランクフルトって、全然歩いたことがないんですよね。
この機会を逃したら、また数年これないような気がしたんです。
1日歩きまわったせいで、この時点で泥のように疲れています。
だけど私のモットーは「徒歩で町を確認」、中心地まで歩きます。
方向は大体わかります。目安がありますからね。
それにしても、フランクフルトは大都会だなぁ。
道も広いし、インターナショナルな雰囲気だし。
欧州中央銀行キタ――――!!!
ミーハーだから、軽くテンションあがりましたわ(笑)
25年前にはなかったもんね。概念からして。
20時をすぎて、日も暮れかかってきています。
赤茶色の派手な建物の壁に「ラーツケラー」と
書いてありますが、ここは市庁舎なのでしょうか。
ひょいと裏にまわると、いきなりレーマー広場キタ―!!!
「フランクフルト中の観光客がここにいたんだ」という賑わいです。
「Römer(レーマー/ローマ人)」の意味が分からなかった私。
この広場まで来て、やっと旅行書をひもときましたよ。
ドイツ出身の神聖ローマ帝国皇帝の肖像画が飾られている
旧市庁舎の建物のことを、「レーマー」って呼ぶんですね。
ここらへん全部レーマーじゃなくて、このピンクの3軒だけね。
13世紀のゴシック建築の大聖堂はレーマーの裏手にあります。
神聖ローマ帝国皇帝の戴冠式が、ここで行われていました。
フランクフルト市民は、レーマーに誇りを持っているんでしょうね。
私は正直、レーマーの由来どころじゃなくなってきました。
あまりにも疲れています。それに暗くなってきています。
動きまわる気力も尽きて、観光客丸出しのレストランに入りました。
レーマー広場で一番目立つシュヴァルツァー・シュテルンです。
頼んだ食事は、フランクフルト名物グリューナー・ゾーセ。
飲物は、念願のアプフェル・ヴァイン(リンゴワイン)。
じゃが芋&玉子のグリーンソースがけは、
疲れた胃袋にと~ってもやさしかったです。
デザートは、伝統菓子のアプフェル・シュトゥルーデル。
「餅でもしこんでるんかい」ってくらいもっちもちの生地と、
どこが生地との境目かわからないくらいもっちもちのリンゴ。
このアプフェル・シュトゥルーデルは人生で一番おいしかった。
観光客用のお店かと舐めてましたけど、正直大当たりでした。
フランクフルトとマインツは、Sバーンで35分の距離です。
中央駅でSバーンに乗り、この日も帰宅は22時すぎでした。
日本にいても、毎晩こんなに遅くなることはありません。
我ながら不安になるくらいタフに、朝から晩まで歩きまわっているのが、
この旅の特徴なのです。あ~今日もいっぱい歩いた。
ドイツに来て4日目、実質3日めの日程がスタートします。
この日も少しゆっくりめに、8時43分発のICEに乗車しました。
この写真はまだ空いてますが、この列車は旧東独へ向かう長距離列車。
フランクフルトあたりから、乗車してくる座席予約者で激コミになります。
「あ、私ここ予約してるの。どいてね~」と来るので、次々と空席へ移動。
なんとか座りましたけど、2人以上だったら絶対に予約がベターな区間ね。
しかも途中駅で「救急医が乗車のため(?)しばし停車します」のアナウンスあり。
そしてそのまま20分停車。私の耳がおかしいのかもしれないけど…これあり?
「ドイツの電車の運行ってマイペースやなぁ~」というのをしみじみ感じました。
そんなこんなで、目的地のアイゼナッハに到着したのは11時40分でした。
駅の構内が「いかにも!」って感じの重厚感だったので、おもわずパチリ。
片道3時間も離れている町は、普通なら旅程に組み込まないでしょうね。
確かに中途半端な位置だけど(失礼)、ここはどうしても来たかったんです。
「駅前から1時間に1本のバスで山へ」という事前情報でしたが、
時間が遅れているので、駅前からタクシーに乗り込みます。
10~15分山を登って料金は8€ちょい、私は10€払いました。
贅沢かとも感じましたが、あとから考えるとこれは英断でした。
だってタクシーの運転手さんから、城門までの情報をもらえたし。
山の中腹で、「ここが撮影ポイントだから」と停めてもらったし。
そのときの写真がこれ。山上の城はWartburg(ヴァルトブルク)城。
この中世の山城を見たくて、は~るばるやってきたのでした。
それにしても、絶景ポイントなのはわかるけど、修復中って…。
一般車が入れるのは途中まで。頂上直前の心臓破りの坂だけは、
乗客をピストン輸送する専用バスしか登っていくことができません。
もちろん歩くことも可能ですが、そのあとの行程を考えると非推奨。
タクシー運転手さんの指示に従って、バスの切符を購入しました。
たしか片道3€で、ドイツ人は高いってぶーぶー文句言ってましたわ。
運転手も負けずに「だったら自分で行けばいい」と応戦してましたけど。
バスで3分も登ると、ヴァルトブルクに到着です。
乗物を効果的に乗り継いだので、日本人の私はすっきりした気分でした。
3€とか端金はどうでもいいの。金持ちケンカせず。(byサッチー)
とにかく城門をくぐって、中に入ってみましょう。
「狭い中に、けっこう人がいるんだな」という第一印象です。
右の建物の1階が売店で、入場券を購入することができます。
私は写真撮影許可2€+入場料9€を支払って、
12時半のガイドツアーに参加することができました。
タクシーで来たから、このベストタイミングでいけたんです。
次のツアーにズレていたら、また時間のロスになっていました。
11世紀、ドイツ中央部チューリンゲンに築城されたこの山城は、
長い歴史の中にさまざまなエピソードを合わせもっています。
1.12世紀以降、宮廷歌人や吟遊詩人が集まって「歌合戦」が開催された。
2.13世紀には、貧民救済に人生を捧げた聖エリーザベトが住んでいた。
3.16世紀には、ルターが1年こもって新約聖書のドイツ語訳をした。
どれも凄いけど、ルターの聖書翻訳ってのが個人的に一番興味深い。
庶民が聖書を読めるようになって、現代ドイツ語の基礎を作ったわけだし。
だからルターが引きこもった書斎を、ガイドツアーでどうしても見たかったんです。
アーヘンのときも強調しましたが、ここでも強調します。
ガイドツアーに参加しなければ、ドイツの観光はダメダメ。
個人だと、肝心のおいしい所に入れませんし、専門知識も得られません。
ガイドツアー担当者ってのは真の専門家で、どんな質問にも答えられます。
多少知識のある客がいると、話題は広がっていくし、盛り上がるんです。
英語ツアーもありますし、ドイツに来たらぜひツアーに参加してくださいね。
左奥にガイドツアーの集合場所があります。
入口は小さいし、何も書いていないから、すれ違う多くのドイツ人に
「集合場所はどこ?」と聞かれました。私も受付で聞きなおしました。
さて、ツアーのスタートです。
入口では、城の位置と歴史を説明してくれました。
中世に使用されていた部屋を、次々とまわっていきます。
ここは城主のダイニングルームだったかな?
あれ?写真に夢中で、ガイドの話聞いてないことばれた?(汗)
派手なフレスコ画に、目がまわりそうになった部屋。
聖エリザーベトの偉業が事細かに描かれているようです。
廊下を歩いても、周囲はエリーザベトだらけ。
この城の誇りは、聖人エリーザベトの排出なんでしょうね。
あ、ガイドさんが私を探しにきてくれた…遅れてすみません。
改装中ではありますが、宗教画のタピストリが圧巻でした。
この部屋は、太い円柱の細かい細工が印象的でしたね。
壁の隅々にまでヴァルトブルク周辺の景色が描かれていました。
このあと、階段を上った先にあったのが、歌合戦の間です!!!
あの「ヴァルトブルクの歌合戦」ですよ。ここで開催されたのよ。
椅子がちょっと気になるけど、昔も備え付けの椅子ではなくて、
参加者用に椅子を持ち込んでいたってことになりますね。
いや~~~これは感動した!(by小泉)
「歌合戦の間」を満喫したあとは、城の調度品展示スペースに移ります。
興奮した気持ちを抑えながら、宝石箱や楽器、銀食器なんかを眺めて。
甲冑があったら、「小柄だったんだな~」と自分と比べてみたり。
長い渡り廊下を進みます。これまでの豪華なしつらえから、
質素な使用人の空間へと移動していくのを自覚できます。
もしかして、この廊下の先には、待ちに待った例のアレが…。
やったら質素な部屋キタ―!!!
と思ったら、ただの「食糧運搬用ロバの世話人部屋」とかね(ぺろっ)
でもこういう「当時の下々のリアルな暮らし」が伝わる部屋、好きです。
私がこの時代にいたら、ロバの世話してるんだろうな~って思うし(笑)
気を取り直して、先に進みましょう。すでに気配は十分あるからね。
次は、こんなに美しい手ふきガラスの出窓にでました。
何をするスペース?日向ぼっこでほっこり?見張り?
そんなことを考えながら、次に控える間に歩を進めます。
あれ?あの机は、どこかで見たことがありますよね?
待ちに待った、ルターの書斎キタ―!!!
すごい質素な部屋です。リアル感があります。
場所だって城のはずれにあるし、使用人部屋のそばだし。
壁の絵は、1522年クラーナッハ作(コピー)
聖書は、1522年の新約聖書(コピー)
椅子は、19世紀の複製品
机は、1600年以前の樫の木製(実物)
足置きのオットマンは、クジラの骨
歴史的に価値があるのは、オリジナルの机とオットマンか。
「悪魔にインク壺を投げつけて、シミができた」という逸話が有名だけど、
ガイドさんによると「そんなシミは探してもないです(笑)」とのことでした。
Wikiさん、間違ってますえ~~~?
ルターの書斎をみたあとは、もう城の出口です。
どこをどうまわったか、自分でもわかっていませんが、
出たところは「購買の手前にあったトイレの横」でした。
白鳩がたくさん羽根を休めていたから撮影した写真ですが、
出窓から見て、このあたりがルター部屋だったのでしょうか。
「ツアーガイドは必至ね♪」って先ほど言いましたけれど、
ツアーガイドへの参加は、確実に体力を消耗します。
疲労困憊。もう動けん。ワンコも水を飲んで休憩中。
城併設のカフェに入って、ヴァルトブルクケーキを注文しました。
あまりにも喉がかわいて、珈琲をポットで頼んでみたところ、
2杯分の珈琲が巨大なカップに注がれてやってきました。
熱い珈琲をたっぷり飲んで、確実に英気を養えました。
ここで、ヴァルトブルク城の構造を見てみましょう。
城の奥から、城門の方向を振り返っている模型です。
中庭を挟んで、おおよその棟は見てきた(と思う)けど、
手前にみえる(城の最奥に位置する)塔だけ見ていません。
0.7€支払い、最後の力を振り絞って階段を上ります。はぁはぁ。
お城の全景が見えますね。360度びっしりと緑に囲まれています。
麓の町も小さく見えます。山のてっぺんですものね。
こんな場所にあったら、砦の役割は十分果たせますわ。
破門されたルターも、安心して隠居生活が送れたでしょう。
破壊されることなく、各時代の人間に大事にされて、
現代に美しき原型を残すヴァルトブルク城。
せっかくここまで上がってきて…名残惜しいですが、
そろそろ出発することにしましょうか。15時前ですから。
さようなら、緑に囲まれたヴァルトブルク城。
素晴らしかったけど、なんか最後のような気がします(笑)
中間のバス停までは、徒歩で降りていくことにしました。
短い距離ですが、車道からの迂回路になっていて、急こう配。
膝の悪い人には、かなりこたえる区間でしょうね。
バス停のそばにくると、Eselstation(ろばステーション)を発見。
人を載せたりするのかしら?子供が遊んでいるだけでしたけど。
中央駅に戻るバスは15時25分発で、20分以上時間がありました。
だけどあの山を歩いて降りる気にはなれず、バスを待つことに。
しかしいくらヴァルトブルク目当てだったとはいえ、ここにきて、
アイゼナッハの町を全然見ていないのが、気になっています。
アイゼナッハの観光ポイントとして、バッハの家、ルターの家が、
あるのですが、ルターの家は2015年まで修復で閉鎖中です。
バッハの家は、現代風に生まれ変わった博物館らしいので、
なんか時間を割いてまで行ってみる気になれないんですよね。
そんなことを考えている間に、バスは中央駅に到着しました。
15時49分に、フランクフルト方面に戻るICEがあります。
これが15分遅れて、16時05分到着となっていました。
このタイミング…私はアイゼナッハの町をすっ飛ばして、
このICEで次の目的地まで移動することを即決しました。
1時間移動して、17時頃に降りったのがFulda(フルダ)。
ここはフランクフルトとアイゼナッハのほぼ中間地点に位置し、
中世史を学ぶものにとっては、避けて通れない重要な町です。
例によって、駅前の通りをずんずん10分ほど進むと、
デパートなどに囲まれた大きな広場に到着します。
地図もなく、目的地点を目指して、ただ感で歩きまわっています。
これは「旧大学」と書いていた気がするんですが、自信がありません。
この広場を抜けて、右手奥に進んでいきます。
この町に縁ある人物(後述)の銅像と教会と…あれれ?
「木組の旧市庁舎」なんですが、これまた修復中だわ。残念。
教会の鐘が大音量で響き渡ります。
歴史の刻まれた長い塀には「修道院ショップ」と書いてあります。
重要な修道院なんだろうけど…小走りに目的地に向かいます。
(あとで調べたら、17世紀創設のベネディクト女子修道院でした)
広い車道に出ましたよ。この道はあっていたんです。
奥にある尖塔が、私の目指す場所なのでしょう。
右手に見えるのが、市の城(領主司教の宮殿)です。
18世紀に世俗権力を握っていた当地の修道院長が、
当時流行のバロック式宮殿を建築して、居住しました。
現在は歴史博物館となって、一般公開されています。
わ~、あれだよきっと!!!夢にまで見た「フルダの大聖堂」って。
独特の外観だよね。古そうだな~さすがフルダさん。
…って、あれれ?横の大きい方が、フルダの大聖堂かい(汗)
最接近するまで、マジに存在に気づきませんでした。
道はこの古い教会に続いていたし、緩やかな丘の好立地だし。
この小さな古い教会については、後述することにして、
大聖堂に先に入ってみましょうか。時間もぎりぎりOKね。
ここは、ドイツの守護聖人ボニファティウス(672-754)が眠る聖堂。
ボニファティウスといえば、全ゲルマニア地域の大司教として就任し、
布教の途中に殉教した聖人で、ドイツカトリックの基礎を築いた人です。
中央祭壇の裏手に、地下聖堂に降りる階段がありました。
これこそが、「聖ボニファティウスの墓所」です。
花を手向け、祈りをささげる信者が今も絶えません。
この日も、若い神父さんが膝をつき、熱心にお祈りしていました。
雑念だらけの私がカメラを手にウロウロして、本当に申し訳ない。
祭壇に刻まれているシーンは、ボニファティウスが拷問によって
不運の死を遂げ、その後に復活した様子なんだそうです。
ボニファティウスが愛したこの地には、愛弟子によって修道院が
建築されました。9世紀には、バジリカ式教会堂が完成します。
アルプス以北最大の教会堂で、各地から巡礼者が殺到したとか。
しかし長い年月を経て、バロックの流行した18世紀になると、
白い漆喰と彫刻を施した現在の姿へと改築されたのです。
設計者は、「市の城」を手掛けたディーンツェンホーファー。
改築前は、いったいどんな内陣だったのでしょうか。
たとえ朽ち果てていても、素朴で重厚な石造りの教会堂は、
もっと私好みだったに違いありません。
さて、大聖堂を出て、横の小道をかけあがります。
時刻は18時少し前。気になっていた教会に移動しましょう。
見学は確実に無理だろうけど、前まで行ってみたいから。
もっと近くに寄って、全体の作りを見てみたいから。
聖ミハエル教会
カロリング時代の円形建築(822年)
フルダのベネディクト派修道院の墓地礼拝堂には
当時の地下聖堂(納骨所)が現存している
10-11世紀には、ロマネスク式回廊に改装
なにか引っかかると思ったら、カロリング時代の建築だったのね!!!
18時からミサが始まるのということで、人が集まってきています。
「信者以外立入禁止&撮影禁止」と、扉に書かれていました。
だけど神父さんがバタバタ歩きまわって、準備をしていて。
観光客のおばさんたちが、カメラを片手に入っていくのです。
私だって、よく考えたら、立派な観光客のおばさんですってば。
ずいずいと教会の中に入っていくと…
あら、ここはなんて不思議な空間なんでしょう。
説明文の通り、たしかに母体は「円形建築」です。
少人数しか入ることができない狭い空間で、東屋みたい。
十字の「回廊」は、確かにあとから追加したものでしょうね。
中央に説教台が設置され、奥には祭壇が飾られています。
写真のように、信者はぐるりを囲んで神父の説教を聞くこともできる。
おそらくもっとも初期の、素朴な「信者の集会」の形態なのでしょう。
おばさん軍団に続いて、地下聖堂(納骨所)にも降りてみました。
だって、私も立派なおばさんのひとりですからねっ!
階段は、すれ違いできない狭さでした。
地下はがらんとしています。空気が冷たいです。
ああ~~~礼拝堂になってる!(当たり前だけど)
1200年前から、ここで祈りが捧げられているんですよ。
すごいものを見せて頂きました。おばさんでよかった。
さあ、そろそろミサが始まりますよ。
さっと見ただけで、10人もいなかったけれど、
これが本当のリアルな地方のミサなんでしょうね。
いくらおばさんでも、もう出ていきますね。失礼しました。
大きな通りにでると、城門らしき痕跡が見えました。
その奥にも壁が続いているので、興味をそそられます。
でも18時をまわっていることだし、そろそろ駅に戻りましょうか。
にぎわいにつられて、お城の庭にちょっとだけ寄り道。
いや~~~フルダってすばらしいですね。
市民の憩いのスペースがしっかりと整備されているし。
この美しい庭園で本を読んだり、日光浴したりしたいなぁ。
庭園から見下ろした普通の自動車道なんですけど、
自然と歴史文化、市民生活が一体化している感じ。
ここに住めば、きっと豊かな生活が送れるでしょうね。
この町が好き。私はすっかりフルダ信者になっていました。
旧市庁舎裏にある後期バロックの司教区教会。
もちろん中には入れませんでしたが、
おそらく仲は派手なんでしょうな。
この日は、ワイン祭りが開催されていたので、
雰囲気だけ味わいに、会場に寄ってみました。
凄い賑わいでしたよ。素朴なおつまみがいいね。
「さあ、もう帰るよ」と独り言を言いながら、ICEに飛び乗った私。
素直にマインツに帰ればいいものを、フランクフルトで下車。
だってフランクフルトって、全然歩いたことがないんですよね。
この機会を逃したら、また数年これないような気がしたんです。
1日歩きまわったせいで、この時点で泥のように疲れています。
だけど私のモットーは「徒歩で町を確認」、中心地まで歩きます。
方向は大体わかります。目安がありますからね。
それにしても、フランクフルトは大都会だなぁ。
道も広いし、インターナショナルな雰囲気だし。
欧州中央銀行キタ――――!!!
ミーハーだから、軽くテンションあがりましたわ(笑)
25年前にはなかったもんね。概念からして。
20時をすぎて、日も暮れかかってきています。
赤茶色の派手な建物の壁に「ラーツケラー」と
書いてありますが、ここは市庁舎なのでしょうか。
ひょいと裏にまわると、いきなりレーマー広場キタ―!!!
「フランクフルト中の観光客がここにいたんだ」という賑わいです。
「Römer(レーマー/ローマ人)」の意味が分からなかった私。
この広場まで来て、やっと旅行書をひもときましたよ。
ドイツ出身の神聖ローマ帝国皇帝の肖像画が飾られている
旧市庁舎の建物のことを、「レーマー」って呼ぶんですね。
ここらへん全部レーマーじゃなくて、このピンクの3軒だけね。
13世紀のゴシック建築の大聖堂はレーマーの裏手にあります。
神聖ローマ帝国皇帝の戴冠式が、ここで行われていました。
フランクフルト市民は、レーマーに誇りを持っているんでしょうね。
私は正直、レーマーの由来どころじゃなくなってきました。
あまりにも疲れています。それに暗くなってきています。
動きまわる気力も尽きて、観光客丸出しのレストランに入りました。
レーマー広場で一番目立つシュヴァルツァー・シュテルンです。
頼んだ食事は、フランクフルト名物グリューナー・ゾーセ。
飲物は、念願のアプフェル・ヴァイン(リンゴワイン)。
じゃが芋&玉子のグリーンソースがけは、
疲れた胃袋にと~ってもやさしかったです。
デザートは、伝統菓子のアプフェル・シュトゥルーデル。
「餅でもしこんでるんかい」ってくらいもっちもちの生地と、
どこが生地との境目かわからないくらいもっちもちのリンゴ。
このアプフェル・シュトゥルーデルは人生で一番おいしかった。
観光客用のお店かと舐めてましたけど、正直大当たりでした。
フランクフルトとマインツは、Sバーンで35分の距離です。
中央駅でSバーンに乗り、この日も帰宅は22時すぎでした。
日本にいても、毎晩こんなに遅くなることはありません。
我ながら不安になるくらいタフに、朝から晩まで歩きまわっているのが、
この旅の特徴なのです。あ~今日もいっぱい歩いた。
by ottohoefler
| 2014-09-17 00:30
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見てるだけでシアワセな気分になれる身のまわりのモノたちをおひろめしています
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